Posted on Friday, 5 February 2010
鳥居もまた空っぽです。入り口であり出口である、ここから出たり入ったりするということを示す空っぽです。この鳥居に導かれて中心部に至るわけです。真ん中の屋代を囲っているのは透垣(すいがい)という透過性のある垣で、何重にも囲われているんです。
この、神様が入っているかもしれないという中心の空っぽに対して、自分の気持ちを投げ入れる。つまりエンプティを介して、神様と交流するわけです。いい人に出会えますようにとか、大学に受かりますようにとか、そういう気持ちを投げ入れて帰ってくるわけです。神社のほうも気を利かして、よくお詣りなさいましたとかいって、ご褒美に紅白の饅頭とかくれてもよさそうなものですけど、神社はそんなことをしない。さらに空っぽの箱を屋代の前においておく。だから参拝者は気持ちだけじゃなくて、思わず千円札なんて入れちゃったりするわけです。つまり、空っぽを介在させて、不可知なるものと交流するという、エンプティネスの運用が、基本ルールなんです。
Notes